【心理塾】「雑談がニガテ」なこころの働き「隔離 isolation」

「雑談で何を話したらいいのかわからない」と苦手意識を抱えたり、
身近な人の突然の死去に
「葬儀は終わったけれど、あの人がまた現れる気がしてならない」と現実感が伴わない。

こうした訴えの背景には、いずれも
「隔離 isolation」というこころの働きがあります。
これは、防衛適応機制の一つで、
例えば「恐怖」という観念と「怖い」という感情は結びついているものですが、
観念だけが意識にのぼり、
それに結びついているはずの感情は、
切り離して自覚しないようにしておく働きです。

突発的な事態に巻き込まれたとしたら「実感がもてない」ものですが、
それは感情が伴っていないから。
例えば、夫の急死には
「先に行くなんて酷い」と怒り、
「一人になってどうしたらいいのか」と困惑し、
「たった一人だ。寂しくてたまらない」大きな喪失感から落胆する。
このように、様々な感情が、一気に押し寄せて、複雑に入りまじるもの。
すべてをそのまま受け入れることは
できるものではありません。
やすやすとこころの限界容量を超えていきます。
そこで、感情を切り離すことで、
夫のいない生活を、実感は伴わないけれども、何とか生きていく。

この「感情を切り離す」というのは、日常的にも使われています。
「TPOをわきまえる」と言いますが、
ミーティングなど、組織の中で物事を決めていくようなときに、
個人的な損得や好みの話を入れ込んでは困るから、
それは切り離しておきますね。
公私の区別をするというのも、隔離を使っています。

不安感や罪悪感、望ましくないもの
そんな「自分のタブー」を整理して起こってこないようにしますが、
整理しても感情のエネルギーは強いために、観念だけは頭に浮かんできてしまいます。
静かにしておくべき場面で、
「喋っちゃだめだ」「笑っちゃだめだ」
そんなことばかりがよぎって
全く話が入ってこなかったなんてこと、ありませんか?
TPOを踏まえて、望ましくない振る舞いは分かっているものの、
大声出して笑ってしまいたい…‼

繰り返しになりますが、ほどほどに隔離を使うことができるのは、望ましいこと。
何かを学ぶとき、学術的な研究のレビューで
いちいち自分の個人的な感情を入れていたら
著者の主張が分からなくなってしまうかもしれません。
感情を切り離すことで、学びは学びだと考えていけます。

ただ隔離は、やればやるほどいい、というものではありません。
確かに、仕事中は個人的な話ばかりでは困る訳ですが、
みんなが自然に自分の感情を出していいような雑談の場面に、
個人的な感情を出さないようにしてしまうのは、どこか不自然に見えます。

もしも「雑談で何を話したらいいか、わからない」と戸惑う場合には、
この隔離が働いているかもしれません。
そうだとしたら、あなたは
学校の規律や、親御さんのしつけに応えてがんばってこられたのでしょうね。
「もっと遊びたい」「もっと甘えたい」と思っても、ぐっとこらえてきた。
隔離は、やり抜いてこられた、あなたの大事な力の一つですね。
その力をまずは認めてあげましょう。

それでも、「何か話さないといけない」と観念ばかりがよぎって
焦る一方になっていたとしたら、
カウンセリングのご利用や、
二級心理士養成講座もお勧めです。
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