「価値観の違い」って何でしょうか?
よく、離婚の理由としても挙がりますね。
もっともらしく理由づけされていますが、
違っていてはいけないかのようで、
個人的には違和感が残ります。
ここで。
こんな人、身近にいませんか?
第3者からの言葉には耳を貸すけれど
親やパートナーからの言葉には反発する人。
近しい間柄の言葉ほど、受け入れがたい人。
なぜ耳を貸してくれないのか。
それは、近しい間柄であるほど
「自分を分かってくれている」
もっと言うと
「自分と同じように考えているはずだ」
といった期待を持っている。
そして
この期待のもとに、反発を示すようです。
「察してよ」
「こんなことも、言わないと分からないの」
「それでも親か ※」
(※ 男か/女か…等 バリエーションあり)
「あなたのことを思って」
「言うとおりにしていたら間違いないんだから」
時には、期待外れのイライラを露にする場合も。
こういう相手を前にしたとき、
あなたはどう感じますか?
「もうちょっと聞き耳もったっていいんじゃない?」
「あなたこそ、私のことを分かってない」
あるいは逆に
「くみ取ってあげられなかったんだ…悪いことをした」
「言うとおりにできなかった。やっちゃった」
いずれにしても、期待を押しつけられるのは
一方的で、困ってしまうものですよね。
「全く同じように考える」なんて、できませんから。
個人的には、
「お生憎様、イイ子じゃなくてごめんなさいね☆」といったところでしょうか。
ところが、です。
「夫婦二人三脚で」
「組織一丸となって」という
スローガンが喜ばれるように、
「同じ」であることを望み、
「同じであろう」とすることが当然とされる
そんな風土が根強くあるように感じます。
例えば、何か問題が起こったとき。
「意見が違う」
「足並みがそろわない」
といったことがまた問題視されます。
つまり、
「 同じであるべき 」のワナに
とっても引っかかりやすい。
“ 近しい人にほど反発する人 ”というのは、
このワナにとらわれているんですね。
意見が違うのは、当たり前のこと。
むしろ、
違いは生かしていくこともできるのです。
それぞれが「こうだ」と思うやり方でやってみる。
但し、相手のやり方には口を出さない。
そして結果の検証をしてみる。
例えばこんな具合です。
相手とは違うから、
相手のことが分からないから、
相手の思いに耳を傾ける。
そして、あなたの思いも言葉にする。
そうした対話を保ちたいところですね。
身近なあの人と、残念ながら衝突してしまったときに。
これからも大切にしたいなら…
違いがあるにもかかわらず、
関係を保つことができたのは何が良かったのでしょう?
そこで「 役に立ったもの 」は何でしょう?
関係維持に貢献したものが、あたなにも、お相手にも見つかることと思います。
ぜひ、振り返ってみてくださいね。